サンマ消えた熊野灘「もう戻ってこないかも…」
2017年02月10日 17時58分 読売
和歌山、三重両県沖に広がる熊野灘。
国内の「サンマ漁発祥の地」とされ、かつてはサンマ水揚げ日本一を誇ったが、近年激減し、特に2015年漁期以降は不振にあえいでいる。
海流の変化や外国漁船による公海上での「先取り」などが要因とみられ、関係者は
「もう熊野灘にサンマは戻ってこないのでは」
と不安を募らせている。
◆記録的な不漁
「長年、漁を見ているが、ここまで取れなかったことはない」
県漁連・勝浦地方卸売市場の丸山一郎参事役(60)は表情を曇らせる。
県水産試験場によると、熊野灘の棒受け網漁の主な漁期は11~翌年3月。
06年期の勝浦漁港の水揚げは200トンを超えたが、その後は減少傾向が続き、15年期には2・4トンにまで激減。
16年期は今年1月末時点でわずか0・1トンしかない。
サンマは北海道から寒流の親潮に乗って南下し、房総沖を経て熊野灘にやってくる。
サンマ漁がピークだった1920年代、県内の水揚げは全国の3~4割を占めた。
郷土の文豪・佐藤春夫が代表作「秋刀魚(サンマ)の歌」を詠んだのも、ちょうどこの頃だ。
しかし、戦後は黒潮の蛇行や棒受け網漁が東日本で発達したことで、県内のサンマ漁は下火となり、現在は数隻が操業するにとどまっている。
◆様々な要因
不漁は全国的に見られる傾向だ。
近年、北海道の東の沖に暖かい海水の塊があって親潮が日本沿岸へ流れ込まず、サンマが近海に寄れない海洋状況が続いている。
また、サンマ資源が枯渇する中、回遊ルートにあたる日本の排他的経済水域東側の公海上で、台湾や中国の漁船が大規模に「先取り」していることも、不漁の要因とみられる。
県水産試験場の武田保幸・資源海洋部長は、16年期の不漁について
「昨年11、12月に房総沖に接岸していた黒潮が、サンマが熊野灘まで南下するのを妨げた可能性がある」
と分析する。
◆郷土料理にも影響
熊野灘のサンマは、太平洋を南下するうち脂が適度に落ちて身が引き締まるため、名物「さんま寿司」のほか、特産の丸干しなどに加工される。
串刺しされたサンマが銀色に輝く丸干しは、東紀州地方の冬の風物詩だったが、近年はほとんど見られないという。
丸干し加工業者「東岡商店」(那智勝浦町)の担当者は
「心待ちにしてくれるお客さんから毎日のように問い合わせがくるが、サンマの数が足りない」。
千葉県産などを取り寄せてしのいでいるといい、
「仕入れ値も倍以上に高騰している。このままではやっていけない」
と頭を悩ませている。
(福永正樹)
◆棒受け網漁=光に集まるサンマの習性を利用し、夜間、漁船の脇に仕掛けた網の中に、集魚灯で誘い込んですくい上げる漁法。
水産庁
サンマは、北太平洋の亜熱帯海域から亜寒帯海域にかけて広く分布しており、毎年、夏季に餌が豊富な海域に向けて北上回遊し、秋季に産卵のため南下します。
我が国では、主に太平洋沖合の公海域を北上した後、千島列島沖合を摂餌しながら南下し、道東沖に来遊してくるサンマ魚群が漁獲の主体となっており、例年、7月から12月頃にかけて道東沖から鹿島灘に形成される漁場で主に棒受網によって漁獲されています。
平成24(2012)年のさんま棒受網漁業は、操業開始当初、道東から遠く離れたロシア海域に漁場が形成され、この漁場における魚群の密度も薄かったことから不漁となりました。
その後、9月頃から漁模様は好転しましたが、最終的な水揚量は、21万8千トンと3年連続で低い水準となりました。
また、大型個体(*1)の漁獲が少なかったこと等から、水揚金額は、169億3千万円と前年比で25%の減少となりました(*2)。
漁期当初におけるサンマの不漁については、東経160度以西の海域においてサンマの魚群が少なくなっているといった分布の変化が影響しているものと考えられますが、その要因や大型個体の来遊が少なかった要因は現時点では明らかになっておらず、今後の解明が期待されます。
また、北太平洋の公海において外国漁船の漁獲量が増加していることから、公海における資源管理の重要性が指摘されています。
このような状況の中、サンマについては、漁場形成の状況に応じた適切な操業とともに、北太平洋公海漁業資源保存管理条約(現在、関係国において批准手続中)の枠組みの下、関係国・地域による国際的な資源管理を推進していくことが重要となっています。