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省農薬ミカン40年、中毒死きっかけ

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私とKidsにMathを教えている山奥の老先生は無農薬栽培を2017年も続行している。虫取りや除草のタイミングなど難しいものがある。近所の農地では無肥料栽培なるものをしてい人々もいる。

肥料なしの栽培などは信じられない私は話しを聞くことがある。土壌環境を整えれば、あとは自然が野菜を栽培してくれると言うであるが........。化学肥料はもとより堆肥も駄目で草のみOKらしい。

無肥料栽培は傍の小川のクレソンなどは確かにそうではあるが、かなり特殊な環境であろうかと思う。

さて2018年の堆肥作りをせねばと研究中である。


中毒死きっかけ、省農薬ミカン40年 京大元教授ら研究

2017年12月01日 17時00分 京都新聞

 京都大の研究者らが和歌山県内のミカン山で続けている「省農薬ミカン」の調査研究が今年で40年を迎えた。ミ

カン農家の若者が農薬中毒で急死したことをきっかけに、農薬をできるだけ省くミカンづくりを支援する取り組みで、これまで約250人の研究者や学生らが参加。

害虫や病害、販売などの多くの課題を乗り越えながら、安定して生産を続けている。

 
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ミカン山があるのは和歌山県海南市下津町大窪。

同町内では1967年、毒性が従来よりも低いとされた殺虫用農薬「ニッソールを散布していた松本悟さん(17)=当時=が、中毒症状で死亡し、両親や親族は69年、農薬会社を提訴。

 Nissol、N-Methyl-N-(1-naphthyl)-2-fluoroacetamide
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裁判と並行し、叔父の故仲田芳樹さんが省農薬によるミカン栽培に挑戦しはじめた

 一方、当時京都大農学部助手だった石田紀郎元京大教授らが裁判支援のため「ニッソール中毒研究会」を結成。

77年からは京大の「農薬ゼミ」のゼミ生らが、仲田さんのミカン山で省農薬栽培下の病害虫調査をはじめた。

 ミカン栽培では害虫駆除や病害予防のため年12回程度の農薬散布が一般的だったが、省農薬ミカン山では、年4回程度の散布にとどめた。

当初は害虫被害がひどく、ミカンの木の3割近くが枯死寸前となるなど深刻な被害を受けたが、86年に害虫に寄生する天敵のハチを山に導入。数年で害虫の大発生はなくなった。

 ミカン表面にかさぶたの様な症状があらわれるそうか病などの病害は、枝切りなどの適切な管理と、最小限の農薬で抑えた。

ただ、病害で表面に病斑や傷がつくミカンは多い。味は変わらないが、消費者は「見栄え」を重視するため、市場では省農薬ミカンの価格が安くなる現実に直面。

流通に課題を見いだし、生協での販売や大学での直売など、販路開拓にも取り組んできた。

現在では省農薬ミカンの出荷量は約20トンで、40年前の倍に増えた。

 調査に関わった学生は京大だけでなく、京都学園大や神戸大などにも広がり、卒業後、農協や商社、行政などで無農薬や減農薬の取り組みを応援する仕事についている人も多い。

今月下旬には40年を記念する同窓会をミカン山で開いた。石田さんは「省農薬の実践から販売までの苦労を知り、農薬問題を考える人材を育てられたことが40年間の最大の成果」と話している。

■ニッソール中毒裁判

 農薬中毒で死亡した松本悟さんの両親が1969年、農薬「ニッソール」を販売した会社と、販売を許可した国を相手に和歌山地裁に提訴した。

一審では、毒性を知りつつ使ったとして原告側が敗訴。控訴審で大阪高裁が和解を提案し、国は応じなかったが、会社が1250万円を両親に支払うことで84年に和解した。

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