火災に遭ったノートルダム大聖堂の「未来」は、遺されたデジタルデータが握っている
ノートルダム大聖堂の火災は世界に衝撃をもたらした。
その荘厳なたたずまいは失われ、パリという都市の象徴でもあった歴史的な建物の無残な姿に、人々は言葉を失った。
しかし、在りし日の姿を隅々まで捉えたデジタルデータが遺されている。
レーザースキャナーによって記録された点群データによって、果たして大聖堂はその姿を取り戻すことができるのか。
TEXT BY ADAM ROGERS
TRANSLATION BY DAISUKE TAKIMOTO
2019.04.16 TUE 17:30 WIRED(US)
焼け落ちた木材の一部は1160年代のものだった。
建物の中心をなす長い身廊にかかる屋根や梁は、1220年から40年にかけてつくられていた。
どれもいまから1,000年前には、深い森にひっそりとたたずんでいた木々の一部だったのだ。
フランスの文化と人類の歴史の拠り所として深く根づいていたノートルダム大聖堂。その尖塔は灰になってしまった。
「こうした建造物のなかでは歴史上、最も古い屋根でした。それも今日までのことですが…」
と、アイオワ大学の建築史家のロバート・ボークは言う。
「かけがえのない存在でした」
パリという都市の歴史的な象徴
出火したのは4月15日(現地時間)の午後6時半ころで、火元は大聖堂の天井付近とみられている。
大聖堂の尖塔や飛梁は何世紀にもわたって、その姿をシテ島の向こう側にぼんやりと浮かび上がらせていた。
そして文豪のヴィクトル・ユゴーの小説の舞台となり、パリという都市において文学的な意味だけでなく、歴史のうえでも象徴としても、その中心であり続けてきた。
それだけに、燃えさかる炎と立ち上る煙は衝撃的でもあった。そして炎が広がるほどに、その影響が明らかになってきた。
エマニュエル・マクロン大統領は予定されていたスピーチをキャンセルした。計400人もの消防隊員が呼び集められた。
鉛と木材でつくられた尖塔は、建築家のウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって1860年に、異論もあるなかで修復されたものだ。
文化遺産の多くは助かったが…
大聖堂にあった芸術品や文化遺産などの多くは、火災当日の夜までに安全な場所に移動されていたようだ。
しかし、世界中の建築史家たちは取り乱した様子でメールをやり取りしていた。
もし建物の4分の3が火に耐えることができれば、もし石壁が残れば──大聖堂を修復できるかもしれないと。
「もし石づくりの地下納骨堂が崩れないまま鎮火すれば、修復は可能だと思います」
と、建築史家のボークは指摘する。
「もしひびが入って崩れるようなことになれば、建物は完全に失われてしまいます。そうなれば修復ではなく、再建を視野に入れることになるでしょう」
パリ市の消防団は延焼を止めようと必死になっていた。
大聖堂の西側から建物内へと燃え広がらないように踏ん張っていたのだ。
しかし、大聖堂の木材は、すべて焼け落ちてしまった。
それ自体に建築学上の価値があるにもかかわらずである。
生き残ったデジタルデータ
ランドマークとしてのノートルダム大聖堂は、数多くの絵画や写真にその姿を残している。
そして、この地を観光や礼拝のために訪れた多くの人々はもちろんのこと、壮大な空間に響き渡る音に酔いしれた人たちの記憶にも根を下ろしている。
だが、このデジタル時代にまで受け継がれてきたことで、ノートルダム大聖堂は仮想空間にも生き続けていた。
アンドリュー・タロンという建築史家がこの5年ほどかけて、大聖堂の内部と外観をレーザースキャナーを用いてスキャンし、3Dの点群データに落とし込んでいたのだ。
これによって、修復はより完全なものになるかもしれない。
彼が放った無数のレーザー光は、大聖堂の構造をありのままに捉えていた。
タロンが『ナショナルジオグラフィック』の2015年の取材に語ったところによると、壮麗な飛梁はきちんと外壁を支えていたが、西側ファサードを飾っていた彫刻からなる王の回廊は傾きつつあったという。
“正しい道のり”への地図になるか
ヴィクトル・ユゴーの時代、大聖堂は文字通り存亡の危機にあった。
そして問題は2017年になって、無視できないほどに深刻化していた。
『ニューヨーク・タイムズ』の報道によると、建物の石材の一部は崩落するか安全のために取り外されるなどして、庭園に積まれて保管されていたという。
雨樋のガーゴイルはプラスティック製のパイプに置き換えられていた。改修は待ったなしの状況だったが、『タイム』の記事によると、資金集めは難航していたようだ。
火災が起きたとき、進行中だった全面改修プロジェクトはそんな状況だった。
建築家たちは、どんな再建計画が実行に移されるにせよ、タロンのスキャンデータが“正しい道のり”への地図になることを期待している。
タロンは2018年末にこの世を去っている。しかも彼の師であり、歴史的建造物の科学的な分析に最新のエンジニアリングを用いた先駆者であるロバート・マークも、この3月に亡くなっているのだ。
「ふたりとも大聖堂を心から愛していました」
と、ボークは言う。
「こんな状況を彼らが見ずに済んだのは不幸中の幸いだと思います」
失われた歴史
次に何が起きるにせよ、どうなるのかはまだ誰にもわからない。マクロン大統領は声明のなかで、大聖堂の再建を示唆している。
だが、仮にフランス政府が必要な資金を用意できたとしても、いったいどれほどの額になるのだろうか。
タロンが遺したスキャンデータを用いて、完全な複製をつくるのだろうか。それとも、違ったものになるのだろうか。
「わたしの人生においても、こんな事態は初めてのことです。手本となる事例すらイメージできません」
と、ボークは言う。
「焼失した建物の職人技は、かけがえのないものです。修復するにしても、まったく同じにはならないでしょう。細かな文脈が失われてしまうのです。
石材に刻まれたノミの入れ方や、モルタルに含まれる化学物質の量からも、それはわかるはずです」
建物から学ぶことができたはずの材料の風合いや細部の表現、そして多くの知は、炎とともに消え去ってしまった。いつか壁が再建される日が訪れて、その見た目こそ同じだったとしても、すべて失われているのだ。
ボークは問いかける。
「すべて片づけて、まったく同じものをつくり直すのがいいのでしょうか? それとも、“記憶”を残すべきなのでしょうか?」
「大聖堂の修復や保全の話が持ち上がるたびに議論になります。その場所を“ディズニーランド”のようにしたいのでしょうか。それとも、時の流れに任せたいのでしょうか?
もし今回、不幸中の幸いで元の建物の構造の一部でも残るのであれば、できるだけ元の姿に戻す方向に動くことになるでしょう」