Morgan Culbertson
Morganスタンレーのようにユダヤ人かな?カーネギーメロン 大自体がユダヤ系?この大学はITに狂奔する者を多く輩出。ハーバード同様、世界1位とか名門を自称したがる。コンピュータ科学の分野で世界最高峰と呼ばれるカーネギーメロン大学大学院哲学科計算言語学研究科に転入など言葉が踊る。
メロン財閥の為のIT大学とは?
コンピューター科学者で「最後の授業」で知られる米カーネギーメロン大教授のランディ・パウシュ(Randy Pausch)、膵臓癌による合併症のため米東部バージニア州の自宅で 25日死去、47歳。1960年 ... 両親は第1次大戦後ポーランドから流入したユダヤ人。bohyo.blog84.fc2.com/blog-category-6-10
米大統領選の不正プログラムなど簡単なのでしょう。
米カーネギーメロン大の変形ロボットは3位でしたね。
・「完全なる証明」
ameblo.jp/zivilisation/entry-11884463905
ミレニアム懸賞問題の1つだったポアンカレ予想を解決した天才数学者、G.ペレルマン。その賞金1億円を拒否して話題を集めた。フィールズ賞も拒否している。16歳で数学五輪で全問満点で金メダル。ソ連の大学卒業後に、米国に移り、研究所などに勤め、ソウル予想などを解決。現在は実家に戻り、母親の年金で暮らしているという。本書は、彼のノンフィクション。ちなみに、ユダヤ系。
・「ビューティフル・マインド」
ナッシュが主人公である。ゲーム理論の研究でノーベル経済学賞を受賞。1年飛び級しカーネギー工科大(現カーネギーメロン大)に入学。その後、プリンストン大に進学するが、入試の時に彼の指導教官が推薦書に書いたのは「This man is a genius」だけだったという。MIT教授(終身在職権付き)の職を得るも、統合失調症を発症。現在では回復しているが、彼の数奇な人生は本書を題材に映画化もされている。
※ちなみに、名大の先生に聞いたのだが、米国だとゲーム理論ってそこまで人気がないらしい。日本だとゲーム理論の本が本屋さんに山積みなのに。米国人は数学が得意じゃないのが原因でしょうか。
レズニックは、宇宙に行った2人目のアメリカ人女性、2人目のユダヤ人である。宇宙で 145時間を過ごした。彼女はカーネギー・メロン大学を卒業し、メリーランド大学から電子工学の博士号を得た。宇宙工学者を表彰するIEEEのジュディス・レズニック賞は、彼女 ...
極悪ハッカーは米名門大生 闇サイトで遠隔操作アプリ販売
2015.8.27 00:00 SankeiBiz
スパイアプリを使って、米グーグルの基本ソフト(OS)、アンドロイドを搭載した他人のスマートフォン(高機能携帯電話)を乗っ取り、遠隔操作する-。
被害は日本をはじめ世界で相次いでいるが、その代表的なスパイアプリの開発者がノーベル賞受賞者を19人も輩出した名門、米カーネギーメロン大の20歳の学生だった。
学生は25日、地元に近いピッツバーグの連邦地裁で開かれた公聴会に出廷し、自らの罪を認めたが、世界中のサイバー犯罪者が集う悪名高い会員制の闇サイトのメンバーでもあったことから、全米に衝撃が走っている。
厳格なインテリ家育ち
8月25日付のAP通信やピッツバーグ(ペンシルベニア州)の地元紙ピッツバーグ・トリビューン-レビュー(電子版)、同じく地元テレビ局WTAE(電子版)などによると、学生は、メロン大があるピッツバーグから少し東の小さな街、チャーチルに住むモルガン・カルバートソン容疑者。
父親は同じメロン大で起業家精神論を教えていた元教授で、母親は地元チャーチルの公共庭園のボランティアを務めるなど、厳格な家庭で育った。
大学ではITやネット技術に興味を持ち、シリコンバレー(カリフォルニア州)にあるサイバーセキュリティー会社でインターンとして働くなどしたが、2年生のカリキュラムを終えて以降、学校を欠席したままだという。
「技術」認められメンバーに
そんな彼の悪行が発覚したのは7月14日。米連邦捜査局(FBI)や欧州刑事警察機構(ユーロポール)、国家犯罪対策庁(NCA)など20カ国・計20の国際捜査機関が協力し、極悪ハッカーが集う会員制サイト「Darkode(ダーコード)」を一斉摘発したことだった。
翌7月15日付英紙ガーディアン(電子版)などによると、ダーコードは07年の開設以来、世界中のサイバー犯罪者がコンピューターウイルスなどのハッキングツールを売買したり、自分たちがハッキングで入手した他人の個人情報などを交換する場として機能。メンバーになるには高いハッキング技術を披露し、既存メンバーから実力を認められる必要があるといい、各国の捜査当局が目を付けていた。
摘発によってこのフォーラムは閉鎖され、約300人いるとされるメンバーのうち、英国、ドイツ、イスラエル、ルーマニアなど20カ国から計70人が逮捕されたが、米国人の逮捕者12人のうちのひとりがカルバートソン容疑者だった。
検察によると、彼は13年から、オランダ人ハッカーと共謀し、このサイトで、アンドロイド搭載のスマホを遠隔操作するためのウイルスを入れたスパイアプリ「Dendroid(デンドロイド)」をメンバーにはひとつ300ドル(約3万5800円)、メンバー以外には6万5000ドル(約777万円)で売りつけていた。
さらに、彼が200~300のデンドロイドの販売を画策していたと指摘。これひとつで1500台のスマホをウイルス感染させ、遠隔操作できるといい、最大で45万台のスマホが被害に遭う可能性があったとしている。
「人々を守ることに使う」
公聴会でカルバートソン容疑者は謝罪したうえで、「これからは人々を(をサイバー犯罪から)守ることに自分のスキルを使いたい」と訴えた。
悪名高きスパイアプリの開発者の通う大学が、鉄鋼王、アンドリュー・カーネギー(1835~1919年)らが創設し、映画「ビューティフル・マインド」(01年)のモデルとなった数学者、ジョン・ナッシュ(1928~2015年)ら多くのノーベル賞受賞者を輩出する名門とあって、改めてサイバー犯罪に注目が集まっている。
カルバートソン容疑者の判決は12月2日に言い渡され、有罪なら最高で懲役10年、罰金25万ドル(約2990万円)が科せられる。(SANKEI EXPRESS)
Darkode Shutdown: FireEye Intern Accused Of Creating $65,000 Android Malware
forbes.com/sites/thomasbrewster/2015/07/15/fireeye-intern-dendroid-charges/
One of the more successful English-speaking cybercrime forums, Darkode, was shut down today and 28 arrests of individuals linked to the site made across the world, the FBI and Europol confirmed this morning. Charges were filed in the US against 12 individuals. They included the apparent Darkode creator, 27-year-old Wisconsin resident Daniel Placek, an alleged admin, Swedish 27-year-old Johan Anders Gudmunds, and the accused creator of Facebook Spreader, malware designed to ensnare users of the social network into a massive botnet – a network of infected machines.
In one of the more surprising twists in the case, FORBES understands that one of those charged spent two summers interning as a mobile malware researcher at FireEye, a top US cybersecurity firm that’s received investment from the CIA’s In-Q-Tel, Goldman Sachs and Sequoia Capital, and has helped numerous companies recover from major breaches, including that of Sony Pictures last year. That same individual, 20-year-old Morgan Culbertson, has been accused of creating and selling the Dendroid malware, targeted at Google GOOGL +7.74%’s Android operating system. The US Attorney for Western District of Pennsylvania confirmed to FORBES the accused was the same Morgan Culbertson as the one listed on LinkedIn here. According to that page and court filings, he was selling his malware at the same time as working at FireEye.
FireEye said in an emailed statement that it had suspended Culbertson from future work at the company. It’s believed he was interning in summer 2014 as well as 2013. One major concern for the company might be that Culbertson could have used confidential FireEye research to hone his malware. The firm has strong expertise in mobile security and has repeatedly highlighted weaknesses in Android, as well as Apple AAPL +5.67%’s iPhone. Culbertson would’ve learned a lot during his four months interning, whether for good or bad.
“He is accused of designing Dendroid, a coded malware intended to remotely access, control, and steal data from Google Android cellphones. The malware was allegedly offered for sale on Darkode,” the Department of Justice said today.
Dendroid was a particularly virulent strain of Android malware. When it was uncovered in March 2014, researchers were alarmed by its sophistication, as it was able to take pictures using the phone’s camera, record audio and video, listen in on calls and texts, and nab the victim’s photos or other data. The toolkit was being sold for $300 in Bitcoin, or other cryptocurrency, on cybercrime forums, whilst the source code was going for as much as $65,000. Its creator also offered a warranty promising the malware would go undetected by security software, according to an analysis by Lookout Mobile Security, whilst the malware itself was delivered over the Google Play store, masquerading as legitimate apps. It was a professional-looking service.
If Culbertson was Dendroid’s father, then he most likely enhanced his malware with some of the skills he learned at FireEye during his internships, the first of which lasted from May 2013 to August 2013, according to his LinkedIn page. “I improved Android malware detection by discovering new malicious malware families and using a multitude of different tools, automation techniques and decompiling analysis heuristics,” his description of his time at the firm reads. According to the United States Attorney filing related to Culbertson, he was disseminating Dendroid from January 2013 until August 2014.
He is currently a student at Carnegie Mellon University College of Engineering, according to his public online profiles, where he was awarded a slice of $2,500 in McGinnis Venture Competition winnings for an app he co-created. It sounded like a pretty neat app too: software for eye glasses that projected translations for any foreign language being spoken on to a screen in front of the user’s eye.
As for Darkode, it’s gone thanks to Operation Shrouded Horizon, which involved law enforcement action across 20 countries on at least 70 individuals involved in the site. The forum consisted of a small, but successful community of hackers, who traded malware and in some cases stolen data. Members of hacker crew Lizard Squad, which infamously took out the Playstation Network and Xbox Live last Christmas, were said to be users. It was an invite-only website and limited to those who had worth to other members, of which there were between 250 and 300. Those heading to the site will now see the seizure notice below.
yuichiroanzai.com/blog/2013/06/
-----今から30年あまり昔、忘れもしない1976(昭和51)年6月29日、ペンシルヴァニア州ピッツバーグの空港に降り立った私を、ハーバート・サイモン教授夫妻が出迎えてくれていました。
そのときからの計3年間、ポスドクとして、その後客員助教授として、それこそ一刻を惜しんで認知科学の研究に没頭しました。そういう幸福な時間が持てたのは、今思えばこのとき限りでした。
サイモン教授というのは、その後1978年にノーベル経済学賞を受賞した、カーネギーメロン大学のProfessor Herbert Alexander Simonのことで、ピッツバーグの空港で初めてお会いして以来、2001年に亡くなるまで、私のメンターであり続けた人です。
ワシントンに着いたその日、初対面の日本人ポスドクたちに
「研究に専念できるのは今しかない」
と申しましたのは、彼らに会った途端に、1976年当時のことがまざまざと蘇ってきたからです。
・・・ さて、ワシントンに着いて初日、ポスドクの人たちと別れ、他の案件を無事に終えて、一泊した翌朝のこと。
泊まっていたのはコスモスクラブ(Cosmos Club)という由緒あるメンバーズクラブで、1901年の建築。朝食を取るため部屋を出て、風格のあるエレベータに乗り、二重のドアを開けて出たら、目の前にサイモンその人がいるではありませんか。昨日ポスドクの人たちと話しているときに懐かしく思い出していたサイモン教授が、エレベータを降りたところにいるのですよ。まさか!
エレベータを降りた目の前の壁にあったのは、実はサイモン教授の写真でした。
エレベータの前の壁には、コスモスクラブのメンバーであるノーベル賞受賞者の写真が並んでいました。たぶん数十人。
大多数は物理学、化学、生理学・医学の受賞者でしたが、文学賞が1人、そして経済学賞が2人、サイモンともう一人計量経済学者のローレンス・クラインの顔がありました。
壁に飾られたたくさんのノーベル賞受賞者の写真のなかでも、サイモン先生の写真の額がちょうどエレベータの真ん前にあった、というわけです。
コスモスクラブは、1878年にパウエルという人の提唱によって創設された、長い歴史を持つプライベートクラブです。パウエルは、19世紀にグランドキャニオンを探査して環境の持続的維持を唱えたことでも知られています。クラブの建物は、ワシントンDCのマサチューセッツアヴェニュー、通称大使館通りにあって、20世紀初頭の建築様式を今に残しています。
このコスモスクラブに泊まっていたのは、21日に学振ワシントンセンター主催の Science in Japan 2013 が同クラブで開催されたためです。
とくに、人工光合成や科学技術政策の分野で活躍している日米の研究者を招いてレクチャーや議論をしていただき、パデュー大学の根岸教授(2010年ノーベル化学賞)にはご自身の人工光合成に関わる基調講演をしていただきました。
在米の佐々江日本大使にも、ご多忙の中出席いただき、日米の科学と人材交流に関する素晴らしいスピーチをいただきました。NSFの長官代理(現在長官は空席)Marrett博士などにも懇切なスピーチをいただきました。
オーガナイザーを務めていただいた井上教授(首都大学東京)の指導力は素晴らしいもので、世界をリードする講演者に集まっていただくことができました。
かなり高度な科学的内容のフォーラムだったにもかかわらず100人もの参加者があり、たいへん熱心に議論が交わされました。当日夜のレセプションでは、アメリカの科学技術政策の重鎮で現在AAASにおられる旧知のNeureuter氏に、ウィットに富んだ素晴らしいスピーチをいただきました。
学振の海外センターは、どこも手不足状態のなかで、職員の人たちが頑張ってくれていますが、今回のScience in Japanは第18回、初回は1996年開催という、ワシントンセンターの長年の頑張りによって続けられているものです。とくに今年は出席者が多く、下村センター長をはじめとする職員の苦労も実ったように感じます。
日本の学術研究の国際化がこうした地道な努力によって支えられていることを、多くの方々にぜひ知っていただければと思います。
コスモスクラブでのScience in Japan 2013が成功裡に終わるのを見届けて、22日(土)昼、さわやかな空気と緑のワシントンDC発、翌23日(日)午後成田着。海外出張では毎回そうなのですが、今回もいろいろな新しい経験をしました。