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藤沼昇(65)、竹工芸家でありながら哲学者でいたい!

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今の若者らにこのような物つくり世界を展開できる人物になることを希望したいですね。もちろん職人でも良いですよ。竹工芸家でありながら哲学者でいたいとは面白いですね。
 
この人の作品に何かを感じますか。気もエネルギーも目には見えませんが、その流れというか働きは目に見える。この宇宙は波動が根本にありますからね。それがまた動きと周期性を生み出す。
 
 
藤沼昇さん(竹工芸家)
 
(nodamogenkidesu.blog58.fc2.com/blog-entry-1101)
 
 「物の価値観というのは人間性にしかない」
 
と語る日本工芸会正会員で紫綬褒章受章の竹工芸家・藤沼昇さん(65歳、大田原市在住)。
 
竹の力強いエネルギーを根曲竹で表現した素朴な荒編み作品や、繊細な花籠などのほか竹に漆を施した花器なども出品する。氏の作品の殆どはアメリカで販売されており、日本での作品展は日本橋三越で数年に一度開かれる程度で、県内での作品披露はかなり珍しい。
 
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 「竹工芸家でありながら哲学者でいたい。それがないと作っている意味がない。形だけマネするのであれば職人でいいわけです」
 
と辛口の藤沼さん。
 
作品には念を入れ、気を注入する。自分の思い込みが強くなり、それをお金に換算するのがイヤで、作品の値段が上がっていった経緯もある。
 
「この作品を1000万円、2000万円で買うんだからしょうがないだろう」
 
 「ぼくはアーティストだから、プロデュースもすればデザインもすれば販売のことまで考える。1000万円以上の作品は早々売れない。だから、エネルギーを分散して10個作り、20個作り小品にする」
 
作品の値段が上がると買い手はいないため、世界に飛び出すしかなかった。
 
「いい仕事ができればできるほど作家は困る」
 
とこぼす。
 
 「物づくりは、経験を積めば技術は身に着く。作るとき、第三者はどう感じるか、審査員の目を気にしているうちはダメ。気配を感じて作品を作るのは一番まずいんだ。
 
人の好みに合わせて作品づくりをせず、自分の美学を提示すること。あなたのしたい仕事をしなさい。人間というのは技術ではない」
 
という藤沼さんも、竹工芸を始めて5、6年経ったとき、
 
「伝統工芸の世界ではこういった作品は先輩方に嫌われて公募展に出品してもことごとく選外になっていた。
 
悔しさから伝統工芸をやめて日展へ転向しようかと気の迷いが生じたこともあった」
 
30代から40代は日本の言葉を勉強した。勉強していくうちに「」に出合った。
 
 「人間は気を無くすとふぬけになる。気は流れていないとダメ。空気の気、気流の気は何だろうと研究していくうちにエナジーに辿り着く。気もエナジーも見えない。エナジーは何だ。気でもって人は動かされているし、気でもって宇宙は生きている。作品も気で作られている。気は波動になる」
 
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それ以来、藤沼竹芸のテーマは「気」だ。制作する自分が「気」を感じていなければ第三者が見ても伝わらない。できるだけ自分がそれを感じていられるような環境をつくると話す。
 
 
 「竹の編み方なんてどうでもいいんだよ。俺に言わせれば。どこから始まってなんてものは、俺だって分からないんだから、素人さんが見て分かるわけがないんだから。それより、その作品をみて感じるものがあるでしょ、その印象とか、それが大事なんだよ」
 
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張りのある声で、「気」の大切さを語る。
 
「物の価値観というのは、人間性しかない。出来上がったカタチというのはどうでもいい。ここから何が発生されているかが大切。それは作り手が持ってなくては何も生まれてこない。
 
神の定義も学んだ。神イコール気。大地も神。宇宙を司っている気を神と呼んでいる。だから、デザインの源は自然界から」
 

 竹工芸を始めたのは、
 
「竹をやりたかったというわけではなかったが、日本の文化がどんどん無くなっていく。
 
コンピューター制御の道具を使って作ったものに人間の意思はどこまであるのか、それをアートと呼んでいいのか、人間が最後まで手を掛けて作れるものは何かと探していたら、残っていたのは漆や竹、金属の工芸しかなかった
 
コテコテの日本人になると決め、30歳から竹工芸を始めた。
 
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