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明和7年9月17日に巨大オーロラ?

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明和9年は2月、明和の大火(目黒行人坂の大火事)
 
Wiki情報によると江戸三大火の一つ。この年は災害が相次いで起こり、「明和九年は迷惑年」などと言われた。
 
また

 Monthly averages of the sunspot numbers show that the number of sunspots visible on the Sun waxes during solar maximum, and wanes during solar minimum, with an approximately 11 year cycle. Plot is courtesy of David Hathaway, NASA MSFC.
イメージ 1
 
 
 
江戸時代の空、巨大オーロラ…最大級の磁気嵐か
 
 2017年09月21日 15時18分     読売
 
 江戸時代の日記などに書かれたオーロラの記録から、約250年前に史上最大規模の磁気嵐が発生していたことが分かったと、国立極地研究所(極地研)などの研究チームが発表した。
 
 論文が米国の学術誌「スペースウェザー」に掲載された。
 
 磁気嵐は、太陽で起きた爆発(太陽フレア)によって、電気を帯びた粒子が地球に到達して引き起こされる。
 
磁気嵐の規模が大きければ、普段は見られない低緯度の地域でもオーロラが見えることがある。
 
 天体現象について記録した江戸時代の書物「星解(せいかい)」には、明和7年(1770年)9月17日夜から18日未明に京都で観測されたオーロラとみられる赤い筋が描かれているが、大きさなどの詳しい状況は不明だった。
 
 チームは、京都市伏見区の東丸(あずままろ)神社に保管されている東羽倉(ひがしはくら)家の日記に、同じ日の夜空の様子が詳しく書かれているのを発見した。
 
オーロラとみられる光が「天の川を貫いた」などの記述を基に、空のほぼ真上まで広がる巨大なオーロラが発生したと仮定し、当時の地磁気などを考慮して京都での見え方を計算。その結果、「星解」に描かれた絵とほぼ同じ形になった。
 

 ■明和七年(1770)赤気
 
   sk01.ed.shizuoka.ac.jp/koyama/public
 
 東海道原宿(現在の沼津市原)の問屋場で代々書役をつとめていた土屋氏は,明和七年七月二十七日(1770年9月16日)に富士山に異常を認め,その様子を2枚の絵に描き,それぞれの絵に以下のような説明文を加えている(若林,1996b).

 「明和七年庚寅七月廿七日 夜九ツ時 富士阿し高之間 赤ク成事如斯 中ニ白キすじ十四,五本づつ出候 右之赤ミ東西へ啓ク

 「其夜ハ八ツ過か段々と赤ミうすくなり 見ゆること如斯」

 すなわち,この日の夜半頃に富士山の南東側にある沼津市原から,富士山と愛鷹山の間に赤い光が見え,赤くなった付近から白い筋が14,5本出たという.そして,その赤い光芒は東西に開いていき,2時間ほどして段々と薄れたという.

 沼津市原から見ると,富士山と愛鷹山の間は宝永火口の南東側にあたる山体斜面であり,側火山の密集域となっている場所である.白い筋(噴気?)が多数見えたことや赤い光芒が東西に開いたという記述は,割れ目噴火が生じ,割れ目が北西-南東方向に伝播していったことを想像させる.
 
しかし,宝永噴火より新しい時期に富士山南東山腹で噴火が生じたという確かな地質学的な証拠は知られていない.

 翌日の七月二十八日夜に,日本の各地で赤気を見たという記録が多数ある(大崎,1994).これらの中には体験者自身の記述や体験者からの伝聞と思われる同時代史料が複数含まれているので,信頼できる.また,記述内容も,原宿の絵図に描かれていることとよく似ている.
 
絵図の中の記述は,赤気の出現日を一日誤って記述したものではないだろうか.

 なお,大崎(1994)は,イメージ 2
 
明和七年七月二十八日の極光は日本で見えた極光の記録のうち最も著しいもの
 
と欄外にコメントし,赤気をオーロラと解釈している.
 

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