4 欠乏症と過剰症
マンガンの必須性は微生物、植物、哺乳動物、鳥類などで証明されている。
微生物や植物の必須性は1923年、McHargueによる発育における必要性から、また動物における必須性は1931年、Hart らによるマウスの成長やラット、マウスの卵巣機能の正常化などにおける必要性、Orent と McCollum によるラットの精巣の変性防止や卵巣機能の正常化などにおける必要性などから証明された。
現在、マンガン欠乏症は実験的にはマウス、ラット、ウサギ、モルモット、ブタ、ニワトリ、ウシ、ヒツジなど多くの哺乳動物で作製することが出来る。また、ブタやニワトリでは通常の飼育でも自然的に発生する。
1939年、Norris と Caskey はニワトリにおいて親のマンガン欠乏がヒナの先天性失調症を誘発することを報告している。この失調症はその他マンガン欠乏のラット、ブタ、モルモットの仔で報告されている。仔は常に協同運動不能、平衡喪失、頭部後屈、体姿反射遅延などを示す。ヒトにおけるマンガン欠乏の有無ならびに症状の明確な証明は直接的にも、間接的にも得られていない。
多くの種属で等しく見られるマンガン欠乏症の主要な症状としては
成長障害、
骨格異常、
耐糖能障害、
生殖機能の障害および低下
、胎児期の内耳の発育異常による失調、
新生児の運動失調
などがあるが、実際の病態は欠乏の程度、進行速度、期間、また動物の年齢あるいは発育段階によって異なる。
マンガンの生体影響において最も問題になるのは過剰吸収による中毒である。過剰吸収による症状は各個人でかなり異なり、他覚的症状や自覚的症状を客観的に把握することは難しい。
ヒトにおいてマンガン中毒が確認されたのは1837年、Couperによる軟マンガン鉱工場労働者の慢性マンガン中毒についての臨床報告が最初である。その後、1901年になって本症が再発見され、1930年代~1940年代スペイン、1936年ドイツ、1944年チリ、1947年、1958年モロッコ、メキシコ、1952年キューバ、1950~1959年日本、1940年ソ連、1956年ソ連、1949~1950年ルーマニア、1939年、1969~1971年アメリカなど、1930年代から1960年代にかけて世界各国でマンガン鉱山労働者の典型的なマンガン中毒例が報告されている。
この中毒症はマンガン鉱夫ばかりでなく、マンガン鉱精錬所、ボルタ電池工場、鉄鋼産業などマンガン鋼取扱い工場で働き、マンガンのダストやフュームを吸入する機会の多い労働者に多く見られる。
本疾病の特徴は精神分裂症に似た強い精神障害(locura manganica)で、さらに進行すれば臨床的にはパーキンソン病に似た神経障害(錐体外路炎)を起こし、永久的な廃疾者となる。
すなわち、発症は緩徐で、無欲状態、食欲不振、脱力などが見られるが、マンガン性精神障害として
無意味な笑い、
多幸症、
衝動的行動などの精神運動異常、
不眠、
著しい傾眠状態、
頭痛、
下肢けいれん、
性欲亢進とそれにつづく性欲低下、
射精障害、
発語障害(発声遅延、困難、断裂性発語、無言状態)、
仮面様顔貌、
歩行や平衡の拙劣化、
小字症、
筋剛直、
躯幹や四肢の振戦
などが見られ、またマンガン中毒特有の錐体外路症状として流涎、高度の発汗などが見られ、最終的には完全な植物人間となる。
発症の時期や程度はマンガン鉱石の性質や種類に最も影響を受けるが、発症を促進する補助因子として、アルコール中毒、梅毒、マラリア、結核などの慢性感染症、ビタミン欠乏症、肝機能低下症などがあげられている。
本症の特徴的な病理所見は基底核の神経節細胞の破壊とその瘢痕化および萎縮である。
とくに線条体および淡蒼球部の血管周辺に壊死が見られる。このような慢性マンガン中毒における神経症状の発現は原則的にはダストまたはフュームの吸引によるものであるが、井戸水による経口的なマンガン中毒の事例も報告されている。
慢性マンガン中毒においてもパーキンソン症候群と同様に黒質、線条核および淡蒼核でのドーパミン系の異常が観察され、L-ドーパの投与が有効である。
akira3132.info/neuron_subobus_pallidus
従って、基底核におけるドーパミンやその他の生体アミン含量の著明な減少が症状発現の重要な要因と考えられる。
また、もう一つ重要なことは黒質のメラニン含量の低下である。メラニン中に濃縮されるマンガンおよびメラニン顆粒とカテコールアミン代謝との密接な関係から、パーキンソン症状とメラニン顆粒とマンガンとの間の相互関係が示唆される。いずれにしても、ドーパミン代謝異常が慢性マンガン中毒における神経障害の主要因であると思われる。
マンガン中毒の他の特徴的な症状の一つに肺炎ないし肺臓炎がある。
マンガンダストと肺炎との関係は1921年、Brezinaがイタリアの軟マンガン鉱産業労働者のマンガンダスト暴露による肺炎死亡を報告したのが最初である。
その後、呼吸器症状、肺炎、肺臓炎などを主要症状とする「マンガン肺炎」の症例が世界各国から多く報告されている。また、これらの患者の中にはマンガン珪肺症(manganosilicosis)や肺線維症の合併所見も見られる。
また,マンガン中毒では末梢白血球数の低下、血中マンガン量の増加、尿中マンガン量の増加、毛髪および爪のマンガン量増加などの所見が見られる。
従って、マンガン中毒の診断は症候、尿、血液、毛髪中のマンガン増加の有無による過剰暴露の確認、疫学的根拠、類似疾患の鑑別と除外などを基本に、個人の感受性、大気中のマンガン濃度やマンガン粒子の大きさ、暴露時間などを考慮しながら行われる。なお、マンガン中毒による感染の促進、悪化、感染頻度の増大、感染の重篤度や死亡率の増大など、抵抗力の低下を強調する報告も多い。
最近、総合長期中心静脈栄養(TNP)による医原性のマンガン中毒の症例報告が多くなっている。
必須微量元素(マンガン含量:20 μmol/day)添加 TNP 溶液を3~4 ヶ月間与えられた患者では、精神的障害と混乱症状が進行し、パーキンソン病様症状(構語障害、硬直、運動低下、無表情、核上麻痺指の振戦)を呈する。
とくに脳幹神経節(基底核)の淡蒼球におけるマンガンの蓄積(磁気共鳴画像 MRI における強度増大)と病変像ならびに機能障害、高マンガン血症、尿中マンガン量増大、脳脊髄液中マンガン量増大などの症状が顕著である。
しかも、脳組織中マンガン蓄積、MRI のT1 強調画像上での高強度、血中マンガン濃度、尿中マンガン濃度、脳脊髄液中マンガン濃度などは互いに正の相関をする。