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水とブタノールで造る宇宙の起源?

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宇宙の起源に迫るため、物理学者たちは研究所に「宇宙」をつくる
 
ビッグバンによって宇宙は誕生したと考えられているが、そのメカニズムはいまだによくわかっていない。
 
謎に包まれた宇宙の起源に迫るべく、世界中の物理学者は研究所の中で宇宙を「模倣」する。
 
その試みは果たして宇宙の謎を解き明かしうるのか。
TEXT BY KATIA MOSKVITCH

WIRED(US)    2018.07.15 SUN 20:00
 
 シルケ・ヴァインフルトナーはゼロから宇宙を構築しようとしている。
 
英国のアウトロー「ロビン・フッド」の伝説で知られるシャーウッドの森近くにつくられたノッティンガム大学の物理学研究所で、彼女たちは直径1mの巨大な超伝導コイル磁石を扱っていた。
 
その内部には液体が溜められている。
 
穏やかな波紋を描くこの液体は、わたしたちを取り巻く宇宙で観測できる構造をつくり出した物質のゆらぎを模倣するために溜められているのだという。
 
ヴァインフルトナーは、自身が支配する宇宙をつくり出そうとする邪悪な天才ではない。彼女はすでに存在するこの宇宙の起源を理解したいだけなのだ。
 
ビッグバンは最も一般的な宇宙の始まりを示すモデルだが、しかしその信奉者の間でも、それがどのように起こったかについては意見が統一されていない。
 
ビッグバン理論は宇宙をあらゆる方向に向かって超高速かつ均一に引き伸ばし、一瞬で宇宙を膨張させる仮説上の量子場の存在に頼っている。
 
このプロセスはインフレーションと呼ばれている。
 
イメージ 1しかし、インフレーションや、インフレーションの原因となる場を直接証明することはできない。だからこそ、ヴァインフルトナーは研究所でそれを模倣しようとしているのだ。
 
ビッグバン理論が正しければ、生まれたての宇宙は小さな波紋、いわゆる「量子ゆらぎ」によってつくられたはずだ。
 
このゆらぎはインフレーションの最中に引き伸ばされ、物質と放射線、あるいは光へと変化した。
 
ゆらぎは最終的に宇宙の大きさまで拡大し、銀河、恒星、惑星の種を撒いたと考えられている。
 
その小さな波紋こそが、ヴァインフルトナーがあの巨大な超伝導磁石を使ってモデル化しようとしているものだ。
 
その内部には直径約6cmの円形タンクが入っており、水とブタノールが分離した状態で満たされている(これらの液体は比重が異なるため混ざらない)。

宇宙のインフレーションを模倣する
 
まず彼女の研究グループは、人工的な重力の歪みを引き起こす。
 
「磁場の強さはその位置によって異なります」
 
と、論文の共著者のひとりであるリチャード・ヒルは述べる。
 
「液体を場のなかの異なった位置に移動させることで、事実上重力を増減させることができるのです」
 
と彼は述べる。
 
「重力を逆さまにすることだって可能です」
 
研究グループは、重力を変えることで波紋をつくり出そうとしている。
 
だが、池の波紋とは違って、この歪みは水とブタノールという2種類の液体の間に現れる。
 
「波紋の速度を注意深く調節することで、宇宙のインフレーションをモデル化できます」
 
とグループの別のメンバーであるアナスタシオス・アヴゴスティディスは説明する。
宇宙のインフレーションは、物質の波紋が一定速度で伝搬する間に空間が急速に拡大する。そしてこの実験では、液体の体積が一定量にとどまっているため、波紋は急速に速度を落としてしまう。
 
「この2つのシナリオにおいて、波紋の伝搬は同じ方程式で表せます」
 
とアヴゴスティディスは言う。
 
これは重要なことだ。もし結果として生じるゆらぎが今日の宇宙で見られるような構造を引き起こしうるかのように見えるとすれば、わたしたちはどのようにインフレーションが作用したか垣間見ることができるのだから。
 
ヴァインフルトナーや、あるいはほかの誰かが宇宙の現象を小さな規模で模倣しようと試みたのは初めてのことではない。強い重力場における光波のように伝わる音波を用いたり、あるいは液体や気体にゆらぎを引き起こす磁石を用いたり。より洗練された装置を開発している天体物理学者は世界中の研究室にいる。

さまざまなシミュレーション
 
2017年6月、ヴァインフルトナーは中央にシンクのある大きな水槽を用いて、もうひとつの観察しにくい現象であったブラックホールの超放射を模倣した。
 
研究室で重力をシミュレーションする着想は、ヴァンクーヴァーのブリティッシュコロンビア大学の物理学者であるウィリアム・ウンルーによって1981年に創唱されたものだという(彼はヴァインフルトナーの10年前の指導教員でもある)。結局のところ
 
「わたしたちは宇宙を巻き戻すことはできませんし、たとえ巻き戻すことができたとしても、実験結果を見るのに十分なほど長くは生きられません」
 
とウンルーは述べている。
 
ウンルーの最初の実験以来、擬似重力実験はより洗練されてきている。最初の実験では流体によって重力のシミュレーションを行い、音のブラックホールが音に対して果たす役割を、実際のブラックホールの事象の地平面も光に対して果たしているということを示した。要するに、研究室で測定し表現できるものは、天体物理学上のブラックホールの特性を調べるためにも利用できるということだ。
 
それはあの有名なホーキング放射、すなわちブラックホールが熱を放射し、ある時点で完全に蒸発するという予測にも効果がある。数年前には、イスラエル・ハイファにあるイスラエル工科大学のジェフ・スタインハウアーは、その放射の音による類似現象を発見している。
 
シミュレーションはインフレーションのほかの側面を研究するためにも活用されている。数年前、パリのフランス国立科学研究センター(CNSR)のクリストフ・ウェストブルック率いるグループは、リング状のボース=アインシュタイン凝縮体を「揺らす」ことによって量子粒子の生成を調査した。
 
ボース=アインシュタイン凝縮とは、原子が絶対零度近くまで冷却され、単一量子の物体として振る舞うという物質の状態である。インフレーションの最中、宇宙の温度は急激に下がり、その後インフレーションが停止すると「再加熱」と呼ばれるプロセスで再び温度は上昇し始める。そして通常のビッグバンの膨張につながった。
 
17年10月に行われた、米国立標準技術研究所とメリーランド大学の共同量子研究所のスティーヴン・エッケルが率いた別の実験でも、ボース=アインシュタイン凝縮体を用いて音波の伸長を観測した。これは宇宙が拡大するにつれて起こる光の伸長、あるいは赤方偏移の類似現象だ。このグループは再加熱プロセスと類似の効果も観測していた。
 

新たなモデルを確立できる可能性
 
ヴァインフルトナーによれば、彼女の「斬新な」装置はボース=アインシュタイン凝縮体なしで作動可能だという。それはこのシステムが量子ゆらぎを直接観測するには熱くなりすぎることを意味しているのだとウンルーは述べる。しかしその立案者たちは、システム内の熱雑音を通してゆらぎを観測することが可能だと主張する。この熱雑音が量子雑音の類似現象となるのだ。
 
ヴァインフルトナーたちの研究手法によって、長期の膨張段階を模倣しインフレーションの持続時間を測る、専門用語では多くの「e-fold」と呼ばれる媒介変数が得られる。
 
研究者たちはインフレーションが宇宙のサイズを、ほんの一瞬のうちに10の26乗の因数以上──あるいは60e-fold以上──まで増大させたと考えている。
 
新たな実験が成功した場合、以前の研究室の装置よりもはるかに長期にわたってインフレーションをシミュレーションし、「結果を疑問の余地のないものとするに十分な、ほかの研究よりもたくさんのe-fold」を得られるだろうとニューキャッスル大学のイアン・モスは述べる。
 
「システムがその初期状態を忘れて、インフレーションのゆらぎによって支配された状態に落ち着くまでには、ある程度の時間が必要です」
 
と彼は述べる。
 
「ヴァインフルトナーたちは将来の宇宙論のモデルを特徴づけるのに役立つ新たな物理学を発見する可能性があります」
 
とエッケルは述べる。
 
「あるいは逆に、将来性のある宇宙論のモデルをいくつかの側面から試験するのに役立つでしょう」
 

シミュレーションは不完全?
 
だが、誰もが研究室で行われた宇宙ののシミュレーションが役立つだろうと確信しているわけではない。メリーランド大学のテッド・ジェイコブソンは、このような実験は
 
「わたしたちがはっきりと知らない何かを立証するのではなく、研究室で既知の何かを実行し観察する」
 
ものだと考えている。
 
では、なぜ研究室で宇宙を模倣するのか?
 
「楽しいからです。それに、模倣によって宇宙論においてわたしたちが考えついていなかった新たな現象が示唆されることもあるかもしれません」
 
と彼は述べる。
 
ハーヴァード大学の天体物理学者エイヴィ・ローブは楽観していない。彼はヴァインフルトナーが提唱するタンク内での2種の液体の間に波紋をつくるシミュレーションは、量子ゆらぎの「基本的な物理性質」に届かないと述べている。
 
なぜなら、この実験は単に物理学者がすでにインフレーションを記述するのに用いている方程式を再現するからだ。これらの方程式が基本的な要素を欠いていた場合、この実験はその欠陥を明らかにしない。
 
「研究室でのシミュレーションは量子力学的効果を取り入れることはできますが、ここにはブラックホールとインフレーションにおけるような量子力学と重力の相互作用は含まれていません
 
ヴァインフルトナーの実験はインフレーションについての既存の考え方を再現するようにつくられているとローブは言い添える。だが、そのことはインフレーションの概念を基本的なレヴェルで試験することを意味していない。
 
「実験とわたしたちのインフレーションについての考え方との間に差異が生じるのは、わたしたちがこれらのシステムの一方で数学的な誤りを犯した場合のみです。さもなければ、わたしたちは新しいことを何も学ばないでしょう」
 
そう彼は述べる。
 
 
不完全な「比喩」にも価値はある
 
インフレーションの真の試験とは、インフレーションを推進した物質を研究室でつくり出すことだとローブは述べる。しかし、これには最も強力な粒子加速器である大型ハドロン衝突型加速器よりも最大で1兆倍大きな到達エネルギーを必要とする。だが、こうした試験は近い将来実現する可能性がある。
 
「類似のシステムの方程式を模倣するだけでは、実際のシステムの比喩にすぎず、その基本的な特性の試験とはなりません」
 
とローブは言う。それは
 
「実際の食べ物を食べるかわりに、その匂いをかぐ」
 
ようなものであり、
 
「真の価値があるのは食べること」
 
のみだと彼は付け加える。
 
ローブの言うことは正しい。
 
しかし、ときに人はキッチンから漂ってきた匂いによって、その日の夕食について多くのことを知ることができるのも事実だ。

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