今回の青色LEDの受賞はどうなんでしょうか?古すぎる内容の気がします。21世紀の照明とか大型液晶TVの実現に寄与とかノーベル受賞委員会はコメントしていますが、あまりピンときません。
しかしながら受賞総数が増えたことはギリシャ文明から伝統の英米仏独の科学に少しは近づいたかな?
日本は文学賞が少々、生理医学賞が一人と経済学賞が全く無い。物理、化学での寄与が多い。
1901年から2012年までの受賞者総数は863人であり、分野別では、
物理学賞(194人)、
化学賞(163人)、
生理学・医学賞(201人)、
経済学賞(71人)、
文学賞(109人)、
平和賞(125人・団体)
と比べると面白い。
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まだ辞めないのか…中村氏「怒りが私の原動力」
2014年10月08日 11時42分 読売新聞
7日、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の講堂で記者会見した中村修二教授(AFP時事) 【サンタバーバラ(米カリフォルニア州)=中島達雄】「怒りが私の研究の原動力だ」――。
ノーベル物理学賞受賞が決まった米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)は7日朝(現地時間)、同校で記者会見を開き、青色発光ダイオード(LED)開発に成功した裏話を披露した。
研究に冷ややかな周囲の目や元勤務先との訴訟への怒りが、開発への情熱につながったようだ。
「会社の上司たちが私を見るたびに、まだ辞めてないのか、と聞いてきた。私は怒りに震えた」
中村氏は、「日亜化学工業」(徳島県)に勤めていたころ、赤色のLEDの製品化などを成功させたが、会社の売り上げにあまり貢献できず、社内で「無駄飯食い」と批判された時を振り返った。
入社から約10年が過ぎた1988年。怒りは頂点に達し、辞職を覚悟で、当時の小川信雄社長(故人)に直談判し、不可能と言われた青色LEDの開発の許可を求めた。
「そしたら、どういうわけか、5秒間で許可が出た」
小川氏の判断で、研究費の支出や米国留学が認められた。これについては感謝しているという。