名大関連の事件が続いている。野依氏の理研問題、名大女子学生殺人事件など。
医者の名義貸しの問題は古くて新しい問題でもある。違法とは分かりながらせざるを得ないのであろう。医局の疲弊も目に余るものである。
名大院教授ら書類送検 医師名義貸しで愛知県警
2015年7月28日 20時20分 中日新聞
愛知県岡崎市と長野県松本市の診療所の不正開設を手伝ったとして、中京病院(名古屋市)の形成外科部長浅井真太郎容疑者(50)=名古屋市守山区=らが逮捕、起訴された事件で、愛知県警は、松本市の診療所の無許可開設に関わったとして、医療法違反(無許可開設)の疑いで、この診療所に名義を貸していた医師の男女2人と仲介役の名古屋大大学院教授の男の計3人を書類送検した。送検は27日付。
3人の送検容疑は、浅井容疑者や松本市の診療所「松本駅前皮膚科」(閉鎖)の元経営者の女(56)=同法違反容疑で逮捕=と共謀し、2012年6~12月と13年1月~14年9月の2度の期間にわたり、長野県知事の許可を得ずに診療所を開設したとされる。
県警によると、医師2人は診療所に常勤していないのに院長として名義を貸し、名大大学院の教授は診療所に医師を紹介していた。
浅井容疑者には、元経営者の女から名義貸しの医師らへの報酬を含めて月約15万円が支払われており、県警が金銭の流れを調べている。
「医師の名義貸し」
上塚高弘(熊本県保険医協会会長) khk-dr.jp/shutyou/040323
医師の名義貸し問題が表面化しました。
勤務していないのに給料をもらう医師も、その医師がいることにして診療報酬を請求する病院も確かに問題ですが、これを違法だとして、単にやめさせれば済むというような問題ではないようです。
大学病院には研修中の医師が大勢います。これらの医師には研修費が支払われているのですが、国は人数分の支給をしてくれませんので、1人分を数人で分けることになり、10万円に満たないことも珍しくありません。そこでアルバイトとして民間病院で当直をしたり、それもできないほど忙しい場合は名義を貸したりしていたわけです。
また医局の研究費も国の予算はすずめの涙ほどですから、地方の病院から医師派遣の謝礼が入れば役に立っていました。
病院では急性疾患の病棟の病床16床につき1人、慢性疾患では48床につき1人の医師が基準で、その80%以上の医師がいないと診療報酬が減らされ、経営困難になります。
どうしても医師が確保できなければ入院患者さんを退院させなければなりません。すると在宅医療になりますが、それを支える体制はできていませんから、患者さんも家族も悲惨なことになります。そうならないように名義を借りていたのです。
研修医や研修病院には十分な手当てがなされるべきですし、医師が行きたがらない地方の病院への医師派遣では、行政と大学が協議して、地方にいても医師が勉強できるような制度を作るべきでしょう。
病院に対しては病床を減らしてもいいように、国が特別養護老人ホームなどの収容施設をたくさん造る必要があります。
いずれにしても患者さんにしわ寄せがいかないように、早急に根本的な対策をとることが望まれます。
Episode 56【医者の名義貸し】
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さて、医者の名義貸し、ということが問題になっているようです。
働いていないのに、働いたことになっているのは確かに問題です。ただしかし、それを問題にするのであれば、本当は働いているのに、しかも強制的に働かされているのに、働いていないことになっていることも同時に問題にしてほしいと思うのです。
例えば、僕の場合、二年目に勤めた病院を辞して、医者三年目の生活は、国立大学病院勤務なのですが、契約の内容は、日雇いです。任期は一日とし、特別な事情がない限り日々更新だということです。給料の計算は、一日八時間労働の日給九千円強。週三十二時間のみ計算され、時間外の手当てなんてもちろんつきません。実際、研修医や若い医師たちは、下手すれば週の最初の二日間で、すでに三十二時間以上働いていたりするわけです。
週四日間しか計算されていない理由は、多くの医師が、週一日程度外勤があり、実際は大学で労働しないためだとのことです。
しかし、受け持ち患者がいる限り、外勤日だろうが、早朝にやってきて診察や検査を行い、外勤から戻ってさらに診療を行うなど、大学で少なくとも八時間は働いている医師も多いわけです。
さらには、土日も多くは休めずに出勤するのですが、その給料に関しては、全く考慮されていません。
挙句の果てに、病院が休日体制になり、患者さんをレントゲンに連れて行ったりする人もいなくなり、「土日は看護師がつけませんので、先生お願いします」なんて言われて、休日勤務の人間にいいように使われるのは、本来休日であるはずの研修医たちなのです。
修行の日々だから、とか、先輩医師が歩んできた道だから、とか言って、なんだかわからない精神論で、必要なのに、それを担当する人がいない雑務を全て、研修医に押し付けるような世界なのです。
再三書いてきていることですが、余程の人格者でもない限り、自分に余裕がなければ、人に優しくなんてできないと思います。研修医にも、当然休む権利はあると思うのです。急患や急変があれば、土日だろうが夜間だろうがもちろん対応するし、それで睡眠時間が削られても、それに文句を言うつもりはありませんが、実際は、そういう本来の医療以外のことに、多くの時間を割かれて、いろんなしがらみに煩わされるのです。
夜間・休日担当している医師は、別に金儲けのために働いているわけではなくて、多くは義務として、自分の勤務している病院で当番が当たったり、常勤医の少ない病院へ外勤で出かけたりするわけです。
日曜日に24時間勤務しても、別にどこかに代休がもらえるわけではなくて、月曜日に大きな手術をこなさなくてはならないこともあるのです。
当然、医師の意識としては、そういう勤務は極力体を休めたいのです。当直、というのは、緊急時に備えて医師が待機しているということのはずなのに、実際は夜勤のようになってしまうことも往々としてあるのです。
繰り返すようですが、僕らはみんなそれぞれ、医師としての責任の中に生きているので、いくら本心は休みたい状態であったとしても、僕らが診る必要のある急患を断ったり、急変を無視したりするつもりはありません。それで休息が妨害されたと憤る人は医師失格です。
しかし、実際に本来の意味での救急患者というのは、割合としてはそんなに多くなくて、別にこの時間に受診する必要は全くないような、ただ、病院がやってるからいこうかな、という夜間外来と救急外来を履き違えたような、「コンビニ受診」が多いのです。
診てほしいときにすぐ診てもらえるという安心感は必要だし、軽症患者が救急外来にやってくるのもやむを得ない部分ももちろんあります。
そういう土壌が、真の救急患者が、ためらうことなく救急外来を受診することのできる空気をつくるとも思います。ただ、コンビニ受診する患者の中に、やたらと患者の権利を振りかざして、おおいばりするような人が少なからずいるのです。
昨今の、偏った医療バッシング報道の影響もあるかと思います。患者さんは、確かに弱い立場かも知れないし、医者を選べないかも知れませんが、医者もまた、患者さんを選ぶことはできないのです。
あくまで人間対人間の関係です。
本当に重症の方でも、人間的な常識を持っている方は、「こんな夜中にすみません」と声をかけてくれたりするのです。
その一方で、なぜかいつも真夜中に「定期処方」をとりにくる患者さんが、「いつまで待たせるんだ」とおおいばりしているのです。
さて、「名義貸し」の話題に戻りますが、僕の三年目の流浪の生活は、四月から半年間の大学ICU勤務、十月からの外科病棟勤務を経て、一月から三ヶ月間、大学の隣の市の公立病院で、麻酔科の研修をする予定です。
そこでも少なくとも週四日は勤務すると思います。
しかし、そこは僕に職員の身分をくれないようなので、立場上は無職になります。無給です。
社会保険証もなくなるので、国民健康保険に加入しなくてはならないし、国民年金にも加入しなくてはなりません。
あえて公言すると、かつては、こういう身分の医師は、別の民間病院にバイトなどで勤務しながら、その病院の職員という身分保障と賃金を得ていたようです。
実際の勤務の大半は、無給無職で通う病院においておこなわれるので、こういったことは、おそらく違法行為で、「名義貸し」としてバッシングされていることの一部だと思います。
僕も当然、その違法の「名義貸し」はできないので、泣く泣く無給・無職の立場で働くのですが、それは違法ではないのだろうか、と思うのです。
国立大学病院の、僕らのような日雇いの非常勤の人間は、何年かにわたって大学に勤務する場合でも、三月三十日に強制退職させられるという悪しき制度があります。三月三十一日は無職で、四月一日に新たに採用。これは、どうあがいても勤続一年以上にならないようにするためのもので、これにより、僕らはボーナスを貰えません。
また、その一日間の「無職」のために、先に述べたように、国民年金に加入し、直後に脱退するわけです。実際、三十一日に下っ端がみんないなくなったら困るので、みんな勤務しているのですが、その違法性とか、空白の一日の健康保険がどういう扱いなのかとか、よくわからないことは多いのですが、みんな勤務の忙しさから、だんだんそういうことはどうでもよくなってきます。
もともと、金のためだけに働いているわけではないし、労働とその報酬の関係を考えると悲しくなってくるので、そういうことで何か主張したいわけではないのですが、「名義貸し」にしてもなんにしても、その一面だけをみて報道している限り、僕らの真実は何もみえてこないと思います。また、資本主義の世の中において、それなりの労働に対する評価は、お金で行われている部分がある限り、優秀な人間を必要とする場所には、それなりの報酬を用意しなければならないと思います。
働く人々の崇高な理念とか、自己犠牲だけに頼っていてはいけないと思うのです。どこかの国では、警察官の給料水準を上げたとたんに、警察内の不祥事が減り、警察全体のレベルもあがったといいます。日本という国は、資本主義で動いていながら、人というものを、お金で評価することをあまり好まないような気がします。僕がこういうことを書くと、またすぐに「金の亡者だ」とか「いやらしい」とかいうことを言われるのでしょう。
一方的に、与えられる側だけが権利を主張しても、与える側の環境が旧来のままであれば、どうにもなりません。僕は至極当たり前のことだと思うのですが、よりよい医療のためには、医療従事者の、あまりにも過酷な労働環境の改善が必要だと思うのです。
ただがむしゃらに突っ走ってきましたが、今後一生この仕事に身をおくことを考えると、本当にいろんなことを考えます。
いろんなしがらみなんて考えずに、ただただ外科医として、医療の本筋に邁進できれば良いのですが、なかなか難しいところです。