化学者でもある宮沢賢治の作品たとえば(「春と修羅」)などは通常人にはとても難解で特異的である。大人より子供の方が理解できるであろう。大人でもヘッセやユングやゲーテうあハーンなら理解できるであろう。
大学生時代に「春と修羅」を読んで一番驚いたのが序にある次の文章である。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに みんなのおのおののなかのすべてですから)ということも物我一如とか万物斉同などという概念にすぐ我々一般人は言ってしまう。
共感覚で説明できるかも知れない。
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鑛質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケッチです
これらについて人や銀河や修羅や海膽は
宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
みんなのおのおののなかのすべてですから)
けれどもこれら新世代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一點にも均しい明暗のうちに
(あるひは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を變じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史、あるひは地史といふものも
それのいろいろの論料といっしょに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたったころは
それ相當のちがった地質學が流用され
相當した證據もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいっぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大學士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を發堀したり
あるひは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません
すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます
大正十三年一月廿日 宮澤賢治
宮沢賢治と共感覚
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宮沢賢治の、一見すると、独特で、難解で、とてもわかりにくい感覚と言葉の世界を、本当はそうではなくて、自閉症者が「普通に」世界を感じている感覚(感覚過敏や「視覚を通して考える」考え方)と同根のものだ、というところに結びつけて考えてきた。
さらにもうひとつの考えられることがある。
共感覚、ということだ。
板谷栄城は、宮沢賢治と共感覚の問題について、こう書いている。
ところで賢治は、白いチューリップの花の盃の中に降り注いだ陽光が、そこか
ら溢れ出て陽炎になっていると感じ、それをチューリップの光の酒と呼び、さら
にそれがエステルのような芳香を放っている、と感じているのである。
そのように感ずる原因の半分は、陽炎の実際の光景によるものであり、残り半
分は幻想感覚によるものであろうが、もしかしたら共感覚の一種かもしれない。
……
賢治はしばしば「大人は駄目だ」といっていたそうであるが、そのことの中に
は自分の共感覚の理解者が、共感覚のパーセントの高い子供の中に多い、という経験にもとづく実感も入っていたのかもしれない。とにかく賢治研究においては、
共感覚それも色から匂いや温冷感から色という共感覚は、充分考慮に入れる必要があろう。
(『宮沢賢治の、短歌のような』)
僕も、板谷栄城と同意見だ。
宮沢賢治には、共感覚に似た感覚があると思う。
普通、僕たちは、音は聴覚、色は視覚、というように、感覚は分担されて、認識されている。
それらが混線することは考えられない。共感覚者とは、それらの感覚が混合している人たちのことだ。
私は驚きを顔に出さないように気をつけながら、
「どこでそういう形を感じるの?」
とたずねた。マイケルは体を起こして、「そこらじゅうで」と言った。
「でもおもには、顔にこすりつく感じか、手のなかにある感じだね」
私は表情を変えず、なにも言わなかった。
マイケルはつづけた。
「強い味のものを食べると、感覚が腕をつたって指先までいく。そして重さとか、質感とか、温かいとか冷たいとか、そういうことをみんな感じる。実際に何かをつかんでいるような感じがするんだ」
彼はてのひらを上にして、
「もちろん本当は、ここには何もない」
と言いながら、自分の手をじっと見た。
「しかし幻覚ではない。感じるんだから」
(『共感覚者の驚くべき日常』 リチャード・E・シトーウィック)
『共感覚者の驚くべき日常』は、とても面白い本だった。
どうだろうか。
もしも、宮沢賢治に「心象」の感じ方を語ってもらったら、同じように語るのではないだろうか。「しかし、幻覚ではない。感じるんだから」と。
また、テンプル・グランディンは、自閉症者の中にも、共感覚の症状がある人がいることを書き留めている。
重度の感覚処理欠陥を持っている人は、視覚、聴覚その他の感覚が混乱してい
て、特に疲れたり気持ちが乱れたりしているときはひどくなる。カナダのThe Ont
ario Institute for Studies in Educationで、ローラ・セサロニとマルコム・ガーバ
ーは、二十七歳の大学院の自閉症男子学生をインタヴューした。
彼は感覚器官が入り乱れているので、聞くことと見ることを同時にすることは難しいのだと言っている。音は色のように伝わってくる。一方で自分の顔を触ると音が響くような感覚がするのだとも。
(『自閉症の才能開発』)
音を色のように感じたり、顔を触ると音が響く、など、まさに共感覚の典型だと言えるだろう。自閉症者と共感覚者の感覚は、重なっている部分があるということになる。とても興味深いし、示唆に富んでいると思う。
板谷栄城は、宮沢賢治の心象の言葉から、共感覚の特徴があるものをあげている。
賢治の心象的な聴覚は心象的な視覚と結びついていたらしく、音楽を聞きながら
さまざまな光景を思い浮かべて、それを楽しむのが常でした。ベートーヴェンの
「月光の曲」のレコードをかけながら、教え子に語って聞かせたという次の話は、
その様子をあざやかに伝えてくれます。
楕円や鈍角や直線や山形などが出てくるでしょう。これは、月が雲の中にか
くされたところで、こんどはシャボン玉のような模様が見えませんか。直角三
角形の三十度の角のような鋭角が見えるでしょう。空は澄んできて、雲にかく
れていた月は雲から出てきて光が地上に走ってきたところです。
ところで賢治の音の心象は、面白いことに匂いの心象ともどこかで通じていた
らしく、「黄いろのトマト」という童話に、それらしいことを暗示するしゃれた
エピソードが出てきます。サーカスの楽隊の調子はずれの音が風に運ばれているうちに、スズランの花の匂いや香水の香りがついてしまうというものです。
遠くの遠くの野はらの方から何とも云へない奇体ないゝ音が風に吹き飛ばさ
れて聞えて来るんだ。まるでまるでいゝ音なんだ。切れ切れになって飛んでは
来るけれど、まるですゞらんやヘリオトロープのいゝかほりさへするんだらう、
その音がだよ。(中略)たゞその音が、野原を通って行く途中、だんだん音が
かすれるほど、花のにほひがついて行ったんだ。
(略)
「月光の曲」のエピソードは心象の耳と目のつながりを、またサーカスの楽隊
の話は心象の耳と鼻の結びつきを教えてくれます。そして童話「やまなし」では
青い月の光とヤマナシの匂い、つまり心象の目と鼻が見事に融合していました。
どうやら賢治の心象グラスには、さまざまな心象感覚の粋を集めてまぜ合わせた、素敵な心象カクテルがなみなみとたたえられていたようです。
ここで板谷栄城の言っている「素敵な心象カクテル」というものは、一般的に、共感覚と呼ばれているものと同じだと言えると思う。
チャールズ・E・シトーウィックの『共感覚者の驚くべき日常』という本には、一般に生活している共感覚者の人たちの証言がたくさん集められていて、興味深い。
親愛なるシトーウィック博士。あなたの共感覚の研究をとりあげた記事を読みま
した。私がそれを読んでどれほど興奮したか、きっとわかっていただけないでしょ
う。これまで私が、「自分の想像ではない、自分の頭がおかしいのではない」とい
う確信を一度ももてなかった体験のことを、まったく見ず知らずの人が話している
のですから。
私の場合、いちばん多いのは、音が色として見え、皮膚に一種の圧覚がともな
う、というものです。私はこれまで一度も、音が見えるという人に出会ったことは
ありません。「見える」という表現が的確かどうか、自信がありません。見えるの
ですが、目で見えるのではないのです。こんな言い方で通じるかどうかわかりませ
んが。色がない状態は想像できません。夫の好きなところの一つが、声と笑い声の
色なんです。すばらしい金茶色で、カリカリのバタートーストの風味があります。
奇妙に聞こえるのはわかっていますが、とてもリアルなのです。
(『共感覚者の驚くべき日常』 リチャード・E・シトーウィック)
この人も、音と色とが混乱している。音(夫の声)を、聴覚としてではなく、色として認識していることがわかる。
この本の中には、もっとさまざまな例があげられている。もっと他の感覚が混乱している場合もあるし、特定の感覚が結びつくのではなくて、あらゆる感覚が共感覚になっている人の場合もあるらしい。
…たとえば、アンという名の女性は、特定の種類の音楽を聴いたときだけ、色の
ついた形が見え、他の音では見えない。
光った白い二等辺三角形が、割れたガラスのかけらのように見えます。青は鋭
い色で、直線や角があります。緑には曲線があります。目の上のほうの空間が、
このような眺めが映しだされているおきなスクリーンのように感じられます。
この箇所を読んで、思わず、目をみはった。
すぐに、前出の引用を思い出したからだ。
宮沢賢治は、ベートーベンを聞きながら生徒にこう説明した、という箇所。
楕円や鈍角や直線や山形などが出てくるでしょう。これは、月が雲の中にかく
されたところで、こんどはシャボン玉のような模様が見えませんか。直角三角形
の三十度の角のような鋭角が見えるでしょう。空は澄んできて、雲にかくれてい
た月は雲から出てきて光が地上に走ってきたところです。
どうだろうか。
このベートーベンの感じ方は、共感覚者アンの聞き方・感じ方と似ているのではないだろうか。
また、さらにもうひとつ引用することができる。共感覚者の中には、あらゆる感覚がつながっている人がいる、という記述だ。
アンのように、引き金が非常に限られていて、共感覚も一つの感覚に限られて
いるという人たちの対極には、あらゆるものがつながっている人たちがいる。ど
の感覚の刺激も残る四つの感覚に共感覚を生じさせるという場合だ。
ベルのなる音が聞こえ(中略)小さな丸いものが目の前にころがってきた(中
略)指にロープのような粗いものを感じ(中略)塩水の味がして(中略)何か白
いものを感じた。
ひとつの刺激から、形や、触覚や、味覚や、色覚など、いろいろな感覚が湧き
出してきていることがよくわかる。
これも、宮沢賢治の感覚に対応しているような気がする。
心象のはいいろはがねから
あけびのつるはくもにからまり
のばらのやぶや腐食の湿地
いちめんのいちめんのてん曲模様
(正午の管楽よりもしげく
琥珀のかけらがそそぐとき)
いかりのにがさまた青さ
四月の気層のひかりの底を
唾し はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
(風景はなみだにゆすれ)
(「春と修羅」)
「正午の管楽よりもしげく/琥珀のかけらがそそぐとき」では、光が、「琥珀のかけら」のように、形のあるものとして感じられている。
また、「怒り」という感情が、「にがさ」(味覚)や「青さ」(色覚)として感じられている。
これらは、宮沢賢治が、共感覚を持っている人の感じ方に対応している例であると見なすことができるのではないだろうか。
それから、こんな記述もある。
賢治の心象的な作品はどれも冷たく澄んでいますが、それはその心象にいつも
極度の冷感覚が、つきまとっていたからです。たとえば「青い火の燃える空間」
で説明した緑の炎にも、冷感覚がともなっていました。幻夢の中で地球から遠い
宇宙空間のような所にさまよい出、緑の炎を見たときのもう一つの短歌をご覧く
ださい。
わが住めるほのほさ青みいそがしくひらめき燃えて冬きたるらし
この短歌が詠まれたのは初夏のころですから、季節としての冬の到来を意味す
るものではありません。幻夢の中がにわかに冷たくなり、まるで冬の寒気に包ま
れてしまったように、感じられたということでしょう。
このような冷感覚の例は、ほかにも数えきれないほどたくさんあります。…
(『宮沢賢治の見た心象』)
ここでは、宮沢賢治には、心象の感覚と、身体の冷たさの感覚が同在していたことが語られている。これも、共感覚の一つだと言えるのではないだろうか。
シトーウィックは、実際には、一般の生活をしていて、共感覚を持っている人は、意外と多いのではないか、と考えている。ただ、そう感じている人は、自分からは言い出さない。実際の生活の繰り返しの中で、「変人だと思われるから、言わない方がいい」という経験をしてるために、隠しているケースが多いらしい。
その意味では、宮沢賢治は、むしろ、その逆の人だ。
かえって、共感覚を、言葉として外に出すことによって、自分の感覚の世界(心象の世界)と現実とのはざまに架け橋をかけようとした。しかも、同時に、それを芸術の域にまで高めることができた稀な人だと思う。
宮沢賢治のこの感覚は、宮沢賢治の思想に、とても大きな影響をあたえたはずだと僕には思われる。
ところで、共感覚の起源はどこにあるのか?
それとも、ないのか?
共感覚は、単なる突然変異の感覚異常ということだけなのか?
少なくとも、単なる感覚異常、ということではない、という例を、ライアル・ワトソンの本の中に見つけることができる。
インドネシアの孤島「ヌス・タリアン」での体験を記した『未知の贈り物』という本だ。
この未開の島で、共感覚を<普通のこと>として世界を判断しているひとりの少女と出会う。
そして、その共同体に住む人たちは、みんな、大なり小なり「色で、世界を判断している」人たちだった。
飛び立つたびにするどい、切れ切れの「キュー」という下降音の鳴声をあげた。
「プチョン・ラウト」とティアは言って、やさしく笑った。
「彼は緑色の歌を唄う」
私はしばらくその鳥と彼女の詩的な描写を楽しんでいたが、それを緑サギと知っ
ているのは私だけだということに気づいた。その鳥は本当は緑色ではないのだ。
彼女が言った名前は、直訳すると「海の足なが」のような意味だった。
「どうして緑色なんだ」とティアに尋ねた。
「それが彼の色よ。彼の声は新しい葉っぱやトゲのようにとがっているでしょ
う」
「茶色じゃなくて」
「もちろん茶色じゃないわ。茶色はカタクの音でしょ」
カタクとはその地域のガマガエルのことだ。夜になると村の明りの近くに現わ
れるでこぼこのある普通のガマガエルだ。たしかにやや茶色だと思われるような
こっけいな音を発する。
このアイデアは私の中でだんだんふくらんでいった。
「黒い音を出すものは」
「水牛。それに雷」
「白は」
「ちェうど砂にふれるあたりの海」
私はいよいよとりこになってしまった。
ティアは何の躊躇なく、音を色つきで聞くことに慣れているかのように、例を
あげてくれた。そして、選ばれた色が事物にぴったりのものだということに私は
感心した。その音を発している事物の色だったのだ。
(略)
彼女は、あたりまえのことについて話をさせられることに少々いらだっている
ようだったが、私としてはこの話をやめるわけにはいかない。
「すべての音には色がついているのか」
「アスタガ!(*神よ救い給えという意味の感嘆詞)あなたは知らなかったの」
「知らなかった」
「色がなくてどうやって人の話や音楽を聴くことができるの」彼女は哀れみに
充ちた目で私を見た。
「ドラムが話をするとき、やわらかい砂のような茶色のじゅうたんを地面に敷
く。踊り手はその上に立つ。つぎに銅鑼が緑や黄色を呼び、私たちが動いたりま
わったりして通る森をつくる。もし森の中で道に迷っても、フルートや歌の白い
糸が家に導いてくれるわ」
彼女は悲哀と落胆の念で首を振り、この一二歳の娘の知恵に比べて私は知恵遅れの子供になったような気がした。
(略)
私はのちほどいろいろな音で彼女をテストする機会を得た。一〇〇以上もの音
を選んだが、数カ月後に問いただしても、彼女はつねに同じ返答をした。ティア
にはマルチカラーの聴覚が備わっていた。われわれのような感覚的片輪者が幻覚
剤の助けを借りて垣間見ることしかできない、視覚と聴覚が統一されたバラ色の
世界にティアは永住しているのだった。
ある日、私は学校で色の話題を子供たちに提供してみた。かれらはほとんど、
それを当然のことと思っているようだった。ティアほど器用ではなかったが、特
定の色と音の一致に関しては意見がほぼ同一だった。私たちは色つき言葉のリス
トを作ってパターンを見出そうとしたところ、インドネシア語の母音には独自の
色があることを発見したのである。
私は、色が必ずしも音に対する知的連想としてではなく、独立した知覚インプ
ットとして存在するかもしれないと考えはじめた。この子供たち、そしておそら
く世界中の子供たちが見ている通りに世界は実際に存在していることはありうる。
われわれが大人になると、そういうことがわからなくなる。もはや音の風合を触
知したり、味のイメージを見たりはできない。夕焼けの香気もダチョウの鳴き声
の色も失ってしまった。他の子供じみたものと一緒に、知覚融合もどこかに片づけ
てしまったのだ。残念なことに。
(『未知の贈り物』 ライアル・ワトソン)
ライアル・ワトソンは、共感覚は、突然の異常ではなく、かつて言葉を使うようになる以前には、人間が、大なり小なり、共通の感覚として持っていたのではないか、と考えているように見える。
そう考えれば、自閉症の独特な感覚世界や振る舞いは、大なり小なり、言葉を使うようになる以前の、人間が共通の感覚として普通に持っていた時期があり、その名残なのではないか、と考えられそうに思える。
ちなみに、リチャード・E・シトーウィックは、『共感覚者の驚くべき日常』の中で、共感覚の起源について、次のように結論づけている。
したがって、「なぜ一部の人だけが共感覚を体験するのか?」と問うことは、「
なぜ一部の人だけが片頭痛を体験するのか?」と問う、あるいは他の状態につい
てそう問うようなものだ。適切な問いは「なぜ一部の人は共感覚が意識にのぼる
のか?」であると、私は提言する。それは、この驚嘆すべき現象を一○年以上研
究したのち、共感覚はきわめて基本的な哺乳類の属性であるという意見に到達し
たからだ。共感覚は私たちがだれでももっている正常な脳機能なのだが、その働
きが意識にのぼる人が一握りしかいないのだ、と私は考えている。これは一部の
人の共感覚が強いとか、程度が大きいとかいうこととは関係がない。そうではな
く、脳のプロセスの大部分が意識よりも下のレベルで働いていることに関係する。
共感覚者は共感覚のとき、通常は意識にのぼらないプロセスが意識に対してむき
だしになるので、自分に共感覚があることを知るのだが、ほかの私たちはそれを
知らないのだ。
共感覚は、いつでもだれにでも起こっている神経プロセスを意識がちらりとの
ぞき見ている状態だ。辺縁系に集まるのは、とりわけ海馬に集まるのは、感覚受
容体から入ってくる高度に処理された情報、すなわち世界についての多感覚の評
価である。
(『共感覚者の驚くべき日常』 リチャード・E・シトーウィック)
こう考えれば、共感覚は、「異常感覚」ではない、という考え方でいいように思える。はるかな太古には、かつては、みんなが、普通に、「共感覚を通して」感じていた段階があった、という考え方とは、無矛盾であると考える。
ライアル・ワトソンは、別の本で次のように言う。
ある生理学者は、感覚の混同が起こる人のことを「知覚に関する生ける化石」で
あるとまで言っている。つまり、われわれの祖先である初期の脊椎動物がかつてどのように見、聞き、触り、味わい、匂いを嗅いでいたのかという記憶をその人たち
は見せてくれるというのだ。(『匂いの記憶』 ライアル・ワトソン)
それでは、共感覚者や自閉症者の存在は、昔の人間の名残(「生きる化石)ということになるだけなのか。
そうとばかりは言えない面があると、僕は思う。
行き詰った人類の文化や文明を進めたり、固定的な考えを打ち破る人たちの天才的な発想やひらめきの根源は、この時期の感覚にあるのではないか。「視覚で考えていた」段階の考え方。思いがけない発想などの、想像力の源は、ここにあるのではないだろうか。
宮沢賢治の言葉に、僕たちが魅了されるのも、そういうことがあるからではないのか。「視覚で考える」段階の頃に、感じていた世界の感じ方や、初源の言葉の感覚が、宮沢賢治の言葉の中には内包されていて、僕たちの心がそれに共鳴するのではないか。
補足・色で世界を感じる自閉症の人の例を、ふたつ補足しておく。
私の中には、一個の色彩のシステムがある。私はこのシステムを使って、いく
つもの小世界--たとえば、子ども部屋の世界と庭の世界をつなぎあわせていく
ことを覚えた。
私の中では、すべてが色彩に変換された。人間たち、言葉、感覚、そして場の
雰囲気。それぞれに固有の色があった。「理解できない」という感覚は、ぼんや
りしたオレンジ色-淡いオレンジ色を通して陽の光が入ってくるような色だった。
「疲れ」-もうこれ以上、理解しようと努めるエネルギーが残っていないという
のは深緑色の感覚で、オレンジ色の光を上から塗りつぶしてしまう。
食堂の世界、台所の世界、玄関の世界。それらはみな、色を使って自分でつな
ぎ合わせることを覚えるまでは、それぞれが互いに何の関係もない、独立した小
世界だった。
(『ずっと「普通」になりたかった』 グニラ・ガーランド)
色彩って本当にすばらしい。私の中に、ありとあらゆる感覚をかきたててくれ
る。濃く、鮮やかな色であるほど、私は深く動かされる。私のお気に入りの色は、
深いエメラルド色、ぐんじょう色、むらさき、ターコイズ・ブルー。そして、こ
れらの中間にある色なら、何でも好き。
そのころの私は、自分が人とどこかちがっていることは知っていたはずだが、
なぜちがうのかはわからなかった。私の世界は、色と音楽にあふれた、とても豊
かなところだった。私が歩けば、色と音楽はどこまでもついてきて、私のまわり
ではじけるのだった。私は、誰もがこんなふうにまわりを見ているのだと思って
いた。でも、みんなは、私のふるまいを見ると、腹を立てたり、私から離れたく
なったりするらしい。
(『私の障害、私の個性。』 ウェンディ・ローソン)