Kidsの友人の一人にUという和算家の子孫がいる。沢山の和算書があり、難しい漢字の本を図片手に読解している。もちろん私塾の老先生と一緒にである。特に和算家の算法に関する雄大な考え方と無限大、無限小をものともしない態度に感激している。
次の文にシビレルらしい!
「数に多少の二極あり.しこうして多極(無限大) は少極(無限小) と反対す。ゆえに多極をもって少極をえ,少極をもって多極をえる.また多少二極によりて,おのおの空数(ゼロ)をえる。」
「それ理は,天地の間,自然にあるところにして,象なく,また数なし。
およそ物あれば必ず象あり.象あればすなわち数理,自然にそなう。」
和算家には三角関数の概念、即ち弧をsin,cos,tanの関数として捉えることは無かったが、すべてピタゴラスの定理で済ませてしまうことに驚きを感じているという。
πを関孝和並に算出したいというが、老先生はゆっくりとということである。ソロバンだと26桁の演算が可能なので電卓の8~10桁より優れているのである。
1次関数が分からないと黒板に立たされて学友の前で恥を掻いたKidsであるが、今は徐々に関数がわかりつつあるのかも知れない。
しかし、学校数学から大きく離れているKidsは日本の大学へは入れないと思う。
算法求積通考に序す
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それ理は,天地の間,自然にあるところにして,象なく,また数なし.
およそ物あれば必ず象あり.象あればすなわち数理,自然にそなう.
ゆえによく自然の理をきわめて,これを用いれば,すなわち千変万化,無究の活用をなす.
これ,別に一種の理あるにあらず.ただ,その用いるところに随い,異あるのみ.
これによりてこれを観れば,物, ばんしゅ萬殊といえども,理すなわちいっと一途.およそ一理を貫かざるもののあることなし.
しかればそれ,これをごにゅう悟入するは, ぼんち凡智の及ぶところにあらず.
ゆえにいにしえ古よりいま今に至るまで,一理に通ずる者,あるいはすくな鮮し.けだし,理は象によりてあらわれ,術は理によりて生ず.
それ,数をあらわすものは術なり.いわゆる数術は究理の学にして,人よく学んでこれを究めれば,すなわち目前明白にして萬理に通ずるの要術なり.そもそも数の術たるや,たとい象をもうけ,もって題をなすとも,題,定まりて,術,おのずからそなう.
それ,解をなす.また少しも私意を加うることなし.ゆえに題意に応じてその理を究む.これ算法の本意なり.
じゅつか術家よく諸術の一理たるを知れば,すなわち加減乗除より方円求積のうんのう薀奥に至るまで,またなんぞうれ患うや,その術をえざるを.それ,かの術をえて,この術をえざるは,いまだ,その理を知らざるなり.
数に多少の二極あり.しこうして多極2) は少極3) と反対す.
注2) 無限大
注3) 無限小
注4) ゼロ
ゆえに多極をもって少極をえ,少極をもって多極をえる.また多少二極によりて,おのおの空数4) をえる.
これその理,一に帰すゆえなり.学者,この理を究めることあたわざれば,すなわちその術のうんのう薀奥を知ることあたわず.わが関ふうし夫子, てんしょう天縦5) の才をもって,天地自然の実理を究め,諸術を発明し,もって後世に伝う.今日の算法の密かつ精,けだし夫子のゆうぞう有造なり.
むべ宜なるかな,数術を学ぶ者,今に至りてししゅく尸祝6)そんすう尊崇し,もってよきょう餘教7) をあお仰がざる者のなきは.