確かにそうである。2004年の大学法人化から急に雑用や書類書きが多くなり、研究や教育に避ける時間がなくなって来た。
また科研費の審査委員のレベルの低下(低俗化、自分らが関係するグループに多額に金を与える。)、院生ばかりの学会報告の面白くなさ、学術雑誌に大量に中国人の論文掲載で辟易など多くの問題が起こり、研究意欲が急速に落ちたのは事実である。JACSを見てもChem.Commを見てもChineseの論文で満ち溢れている。そんな雑誌に論文投稿する気にもなれない。
論文を出しても科研費取得ができないのであれば、論文を出さなくなる。また海外誌審査員に大量のアジア系が横行すれば、どうしても感情的な言い合いが起きる。知り合いの先生は”I will kill you!”と審査員に返事をしたほどである。
さらに大学院の授業なども若手教員にまかせ、1年生の講義などや実験指導もTAなどの参加で手を抜く始末である。
大学の教官基礎経費もまず中央で引かれ、次は所属部局で光熱費やジャーナル代で殆ど無くなる。設備更新費などすらなくなってしまう。一方で脚光の当たる領域では数億円の金は簡単に当たるのである。
それらの多額の経費は基礎的な資金から絞りだされたもの。勝手に研究をしてくれという気になる。お金の切れ目が縁の切れ目なのである。
多くの教員の研究は萎み、論文も出さず、研究費申請すらしなくなるのは止むを得まい。
論文にすべきデーターも大量に放置する事態になる(ネットが発達したので発表方法は多様化した)。大学法人化がすべてこのような事態を生んだとは言わぬが、文科省の科学政策、資金配分の誤りであろう。給料まで大きく減らされ、出張や院生らとの飲み会すらできないのが現状ではないか?
昔のように、学会参加 → 審査員に取り入る → 科研費ゲット→というスキームが成り立ちにくい時代である(各分野の審査委員名も判明していた!九大の情報が良かった)。
法人化前を懐かしむわけではないが法人化から10年経過した2015年でどう評価する?
blog.goo.ne.jp/toyodang/e/26f372a069cbd77537e4086b0e56d347
そして、資料の中で私が目を留めたのは、エルゼビア(Elsevier)社のスコーパス(Scopus)という学術文献データべ―スによる、日本の学術論文数の変化を示したグラフでした。
今まで、私は、主としてトムソン・ロイター社の学術文献データベースにもとづいて分析し、日本の学術論文数が停滞し、国際シェアが低下していることを皆さんにお示ししてきましたが、エルゼビア社の学術文献データベースも、トムソン・ロイター社と並んで、世界の大学のランキング等にも採用されている、たいへん有名なデータベースですね。
日本と海外諸国の最近の学術論文数の推移を示してあるのが下の図です。
米国と中国は他の国よりもはるかに多くの論文を書いており、スケールが違うことにご注意ください。
さて、この図をみると、少し太めの赤線で示されている日本の論文数が、多くの国々の中で唯一異常とも感じられるカーブを描いて減少していますね。いつから減少しているかというと、国立大学が法人化された翌年の2005年から増加が鈍化して2007年から減少に転じています。他の国はすべて、右肩上がりです。
トムソン・ロイター社のデータベースによる分析(5年移動平均値)では、日本の論文数は少し早く2000年頃から停滞を示しており、エルゼビア社ほどはっきりと増減を示していません。
エルゼビア社では、トムソン・ロイター社ではすでに停滞している2003年頃から増加し、そして、2007年から減少に転じています。
データベースによって、収載する学術誌の選び方や変更の仕方が違うので、二つの会社のカーブが多少異なっていることは不思議な事ではありません。ただし、データベースによって、その“くせ”のようなものがあり、一つのデータベースだけにこだわって分析をすると、過ちを犯すリスクがあると思います。
やはり複数のデータベースで確認することが、大切なことですね。
トムソン・ロイター社のデータベースでは2000年頃から日本の論文数が停滞しているので、2004年からの国立大学法人化とは必ずしも一致せず、その原因についても法人化と必ずしも関係のないことも影響したのではないかと考えられてきました。
たとえばその前後から始まった国立大学教員の定員削減も原因の1つの候補ですね。政府支出研究費が頭打ちになったのも2000年頃からなので、大きな要因の一つであると思います。
一方、エルゼビア社のデータベースでは、2004年の国立大学法人化の数年後から論文が顕著に減少しており、これを見ると、まさに国立大学法人化、あるいは、法人化の時期と一致して起こった何かが原因であることを思わせるデータですね。
減少に転じるのが2004年から少し遅れているのは、何らかの原因が論文数に反映されるのにはタイムラグがありますから、それで説明できるかもしれません。
エルゼビア社のデータでは、唯一日本だけが異常なカーブを描いており、これは、徐々に、自然の流れで生じたことがらではなく、突然に、人為的・政策的に生じた現象であることを思わせます。
そんなことから、裁量を増やしたたことが論文数の停滞~減少につながったのではなく、法人化と同時期になされたさまざまな政策、たとえば
運営費交付金の削減や、
新たな運営業務の負担増、特に
附属病院における診療負担増、
政策的な格差拡大による2番手3番手大学の(研究者×研究時間)の減少、
などが影響したのであろうと考えています。
もっとも、トムソン・ロイター社のカーブとエルゼビア社のカーブのどちらが、研究力を真実に近い形で反映しているのかわからないわけですが、いずれにしても2000年頃から法人化後にかけて、日本の学術論文は停滞~減少傾向にあり、他国がすべて右肩上がりであることから、研究面での国際競争力が急速に低下したことは、まぎれもない事実と考えていいでしょう。
このような論文数減少のカーブを描いた国立大学法人化第一期(2004~09)において、国立大学法人評価がなされ、その点数によって運営費交付金が大学間で傾斜配分されても、いったいどういう効果があるの?と問いたくなりますね。
国立大学法人評価やそのインセンティブは、国立大学全体としてのパフォーマンスを向上させることが目的であると思いますが、法人化第一期の国立大学の研究のパフォーマンスは下がっているわけですからね。
さて、いつもご意見をいただくDさんから、今回もご意見をいただきました。
「国立大学への運営費交付金の削減が研究機能の低下につながり、それが優れた論文(研究力の一つの尺度)の数を減少させているということは、私なりに理解できるのですが、それなら来年から交付金の額が増えれば解決かというと、そう簡単にいくのでしょうか?研究費以外の要因はどうなのでしょうか?」
ls.toyaku.ac.jp/~oshimat/toyaku/2009-2.ppt
大学の研究費
f.waseda.jp/atacke/kakenQA
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